保戸島空襲から77年 〜忘れず 受け継ぐ 平和への思い〜


昭和20年7月25日、保戸島で空襲がありました。


当時、島唯一の国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)には全校児童960人が通っていた。

この空襲で、米海軍の艦上機であるグラマンF6F戦闘機が投下した3発の爆弾の1発が授業中だった保戸島国民学校(2階建て)の西側校舎を直撃し、児童124人(1年生と5年生の全員と他学年生数名)・教師2人・幼児1人が即死し、75人の児童が重軽傷を負った。


当時の保戸島には豊後水道を通って瀬戸内海へ侵入する連合国軍の潜水艦を阻むため、これを探知する海軍の施設(レーダー受信基地・潜水艦聴音施設・見張り所)が置かれていた。

アメリカ軍の攻撃目標はこれらの軍事施設であり小学校爆撃は誤認とされる。

しかし、逃げ惑う児童に対しさらに戦闘機により機銃掃射も加えられており、真実は定かでない。


同校体育館入口横には慰霊碑が建立され、再び戦争の悲惨を繰り返さない様語り継がれ供養(毎月25日に慰霊碑の清掃活動)を続けている。

慰霊碑には、亡くなった児童及び教師の名が刻まれ、平和のシンボルとなっている。

終戦から77年がたった今でも、尊い命が失われたことを忘れず、後世へ伝え、平和を願うばかりです。


今では、保戸島小中学校は中学生1名、小学生2名(しおかぜ通学)計3名となっている。


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