観光・撮影スポット
加茂神社
加茂神社は、小高い山の上に鎮座する島の鎮守神として京都・上賀茂神社より「別雷命ワケイカヅチノミコト」を勧請し斎き祀ったと伝えられています。江戸時代初頭に望月信房の子・信久、信厚が渡島して創立したと伝えられています。
神崎信久の父・信房は望月内蔵丞源信房です。信房は、織田信長の武将。織田四天王の一人・滝川一益の侍大将として仕えていました。その後主君と別れ京都賀茂神社から一族の守護神として玉依姫命、健角身命の分霊をいただき豊後国神崎(こうざき)に下って神崎(かんざき)と姓を改めました。その子、神崎勘之丞信久は保戸島に渡り、旦那寺の海徳寺を建立すると共に、加茂神社を創立したと伝えられています。
加茂神社のお祭りは、3月、7月、12月に行われています。7月におこなわれる大祭では、神楽が奉納され、神輿や獅子舞が島を巡幸し、多くの見物客で島が最も賑わう時期の一つになっています。祭りのハイライトは御巡幸の神輿が海に入るときですが、もう一つの見どころとして島の若衆が古事記や風土記、民話などを五七調の唄にのせ口説きながら勇壮に担ぐ姿は必見。
石鎚山・波切不動明王
祭神は石土毘古神(イワツチヒコノオオカミ)と波切不動明王を隣に祭っている。。寄付勧進帳に依り安永3年5月吉日(1774年)に押上(おしあがり)頂上に海上安全を祈願して勧請された。明治12年7月(1879年)に社殿再建。竹田利吉氏が御神体奉納。平成元年3月に現在の御神体を石鎚神社本社(愛媛県西条市)より受拝。同12月にも社殿を新たにし現在に至る。
戦前は武士や行者の参詣に限られており、参道も崖を鎖で登るという険しいものだった。
戦後は島の信者により現在の横道が造られ年毎に参拝者が増えていった。今でもマグロ船の出航の際は押上海上で船首を山頂に向けお神酒を捧げ航海安全大漁祈願をし出航しています。祭日は毎年3月の最終日曜日。
海徳寺
浄土宗知恩院末
慶長10年(1605年)初代佐伯藩主毛利高政の命により建立。開基したのは神崎信久で、初代住職として
佐賀関の正念寺を建てた円誉上人興慶(土佐国茂島出身)を迎える。
山号 龍豊山
(円誉萬公八土佐/国藻島/ノ産ニテ三浦氏ノ子)
文政8年(1825年)13世寛世再建
現在第26世住職に至る
(豊後国史御領分寺社記)
海徳寺には昭和20年7月25日の保戸島空襲の時の
遺骨で作った骨地蔵がまつられています。
法照寺
真宗西本願寺派
(あさぎり会誌、保戸島の史跡より)
豊後国史によれば慶長二年(1597)僧宗蓮の建立とあります。
藩政記録には天正十六年(1588)僧西性(サイショウ)の建立とあります。弘安四年(1847)9月焼失したため
記録などあまり残っていません。
安政元年(1854)4月に再建され、昭和十二年の吉日本堂及び庫裡が新築されています。
※グラマンが機銃掃射した弾の跡が柱に残っています。
お大師様
海徳寺横の階段を更に上がっていくと、弘法大師を祀った大師堂が現れます。
真言宗始祖弘法大師
創立 明治十三年三月吉日
松崎六十郎・竹田理吉 両名を発起人として創立。
山内八十体は霊場より土壌を遷移して建立され、
毎年旧三月の例大祭には山内接待を行い盛大に施祭されています。
例大祭には信者が集まり【おにぎりもらい】とよばれるお接待が行われています。
中島の観音様
保戸島と四浦半島の中島瀬戸を見下ろす高台に、元禄十年(1697)建立しています。
建てたのは五代海徳寺和尚です。
観音背面に海徳寺和尚の碑銘、台座に三界萬霊の碑文があります。
保戸島と間元の間の海峡で、多くの船が遭難したくさんの人が死んだそうです。(寺の過去帳を調べると相当の人数が海流にまかれて死んだことがわかります)
その人たちの供養のために海徳寺の和尚が建立しました。
最初は海岸沿いにあったそうですが、建て直す時に
現在の位置に移動したということです。
えいかん
毎年6月から12月ぐらいまで保戸島の港内を悠々と泳いでいる姿を見ることができます。
大きいものは、両手を広げたぐらいの大きさで尻尾まで合わせると2メートルを超えるものもあります。
天然のものなので見れるときと見れないときがあります。見れた人はラッキーかも。
保戸島の人はエイのことを【えいかん】と呼びます。
食べません(笑)
保戸島空襲慰霊碑
保戸島には悲しい歴史もあります。
昭和20年7月25日、終戦の年でした。
間もなく終戦を迎えるという時、小学校が爆撃を
うけました。先生2名、幼児1名を含む127名の
尊い命が一瞬で失われました。
島の一番高い山、遠見山という山の頂上に海軍の
基地があり、そこと間違えて爆撃されたと言われています。
小学校の横には慰霊碑があり、毎月、月命日には
小中学生で清掃を行っています。
海徳寺には遺骨を集めて作ったお地蔵様【骨地蔵】
が安置され、命日には毎年盛大に慰霊祭が行われます。
瀬の浜
島の裏側に石浜の海岸があります。
沢山の大きな岩を超えて行くと細く小高い階段があり、その階段を抜けると浜が一望できます。
ここから高甲岩(たかごいわ)が見えます。
海水浴も出来ますが、シャワー・トイレはありません。
保戸島の小中学校では遠足で行って宝探しを
したりもします。
下手海岸
小学校の裏手に海岸があります。
写真撮影には絶好のスポットです。
夏には海水浴も出来ますが、シャワー・トイレはありません。
画像は台風の余波がある高い波の時です。
2016年には大人の遠足in保戸島と題して
ここでバーベキューや宝探しゲームを行う、
男女20人づつの婚活を行いました。
成果は4組のカップルが成立しました!