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保戸島空襲〜あれから76年〜

〜忘れず 受け継ぐ 平和への思い〜


保戸島は、第二次世界大戦中の昭和20年(1945)7月25日午前10時頃、アメリカ軍による空襲を受けました。

その際、グラマン戦闘機が投下した3発の爆弾のうち1発が授業中だった保戸島国民学校(現:津久見市立保戸島小学校)の西校舎を直撃し、児童124名、先生2名、幼児1名の尊い命が一瞬で失われ、75人の児童が重軽傷を負いました。

当時の保戸島には豊後水道を通って瀬戸内海に侵入する連合軍の潜水艦を阻むため、島の一番高い山(遠見山)の頂上に海軍の施設(レーダー受信基地・潜水艦聴音施設・見張り所)が置かれていた。

小学校は、そこと間違えて爆撃されたといわれている。しかし、爆撃後に逃げ惑う子供達へ向けて機銃掃射を行ったという話もあり、真実はどうなのか、、、

(佐賀関にあった銅精練所と誤認して爆撃された可能性があるともいわれている)



平和を願い7月25日午前10時に黙とうしましょう。

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